「うつ」を克服した人達
● 小川 宏さんの
体験談
● 藤臣 柊子さんの
体験談
● 竹脇 無我さんの
体験談
● 倉嶋 厚さんの
体験談
● 音無 美紀子さんの体験談

アナウンサー、小川宏
1926年、東京都生まれ。NHKのアナウンサーとして人気番組「ジェスチャー」の司会などで15年間の活躍後、フリーに。フジテレビ系の「小川宏ショー」は、その温厚な人柄のにじみ出た司会で人気を博し、17年間にわたり放送された。現在は、司会業のほか、講演活動や執筆業で活躍中。著書に「遅すぎた男の反省」(講談社刊)などがある。
小川宏さん写真

「うつ病」は誰がかかってもおかしくない病気。しっかり治療すれば必ず治ります。
  小川宏さん写真 司会者の小川宏さんが“うつ病”の闘病生活を語った番組『徹子の部屋』(テレビ朝日系)の一部が平成13年5月に再放送されました。その直後から、テレビ局や小川さんの自宅には、凄まじい数の問い合わせが殺到。その大半は、既に治療を受けている人からとその家族からで、治療を受けている人ですら、まだまだ自分の病気を理解しきれていない人がいたり、世間一般からの偏見で悩んでいたり。そして何よりも、その数の多さにも驚かれたようです。ここ数年、ひとりでも多くの人にこの病気のことを正しく理解してもらおうと講演や執筆活動をはじめた小川さんの、自らの体験を語っていただきました。

カゼだと思っていた具合の悪さが自殺未遂にいたるまで進行していた。
   平成3年秋のこと。カゼだと思っていた具合の悪さが、いっこうによくならない、とにかくだるくて何をするのもおっくう…。そんな症状から始まった小川さんの「うつ病」は、翌年3月の“自殺未遂”にいたるまで、本人すら気が付かないまま進行していた。「とにかく、お風呂に入るのも疲れるのでいや、食欲もない。人に会うのもだるいので会合などもすべて欠席していました。あまりの体調不良に、友人の医師を訪ねたのですが、特に悪いところも見当たらず、今度神経科の先生を紹介しましょうと言われたまま、お互い忙しくて、のびのびになっていたんです。」

 年が明けて1月の31日には、長年連れ添った奥さまに「遺書」を渡すという行動までとっていた。「それを受け取った女房が、二ヤっとわらって“これは認め印がないので認められませんね”なんてシャレを言いながら相手にしてくれませんでした。とにかく自分でもあのとき、それほど深刻な病気だと気がつかないくらいですから、彼女にしてみればそうするほかなかったんでしょうね。でも、さらりとながしてくれたのは、ありがたかったですよ。あれで騒がれていたら余計落ち込んでいたかも知れないし。でもそのタイミングはむつかしいですよね。やはり早めに病院へ行かせるようにするのがいいのかもしれませんし。」

 そして3月16日の早朝4時ごろ目がさめた小川さんは、寝床でうつらうつらしながら、ふと理由もなく今日それを決行しようと思ってしまった。「そーっと起きてひとりで、家を出ました。人は、いまはのきわには錯乱するだろうと思っていたけど、そのときの僕はとても冷静でした。そしていつの間にか、家から5〜6分のところにある踏み切りの前に立っていて…。1時間くらい電車を見過ごして、いよいよ決行しようと思ったとき、ある言葉がよぎったんです。NHK時代によく仕事をご一緒させていただいた山谷親平さんの「自殺は愚かものの行為なり」という言葉でした。そして、女房や子供たちの顔が…。」思いとどまった彼の目の前を、猛スピードの電車がザ−っという凄い音をたてながら、通 り過ぎて行った。

 「その時は、“はァ〜、よかった。死ななくてよかった”と本当に思いましたね。からだはタコみたいにヘロヘロになっていて、しばらく立ち上がれそうもありませんでした。家にやっとこさ辿り着いたら、門の前で女房が心配そうに立ってまして“どうしたの?”って聞くから、これこれしかじかと話したら、とにかく病院へ行こうということになりました。」

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