「うつ」を克服した人達
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気象キャスター・エッセイスト・理学博士、倉嶋 厚さん
1924年、長野市生まれ。'49年、気象庁に入り札幌気象台予報課長、鹿児島気象台長などを歴任。'84年、気象庁定年退職後、NHK解説委員として『ニュースセンター9時』『NHKモーニングワイド』などで気象キャスターを務める。'92〜'96年まで『NHKおはよう日本』で“倉嶋 厚の季節の旅人”を担当。現在、フリーの気象キャスター、エッセイストとして活躍中。著書に『暮らしの気象学』(草思社)ほか、自身のうつ病を乗り越えた手記『やまない雨はない 〜妻の死、うつ病、それから〜』(文春文庫)『癒しの季節ノート』(幻冬舎)がある。
倉嶋 厚さん写真
撮影/西山 奈々子

7年前、最愛の妻を亡くした私はすっかり落ち込み、ついにうつ病になってしまった
 
倉嶋 厚さん写真
 取材で倉嶋さんのご自宅に伺ったのは、よく晴れた心地よい風が吹く日の午後だった。部屋を訪ねると、奥の部屋から颯爽とした白髪の紳士が迎えてくれた。そう、テレビでよく拝見していたあの倉嶋 厚さんだ。スマートな身のこなしで私たちを仕事部屋に案内してくれるその姿からは,今年80歳を迎えられるとは想像もつかない。まして、取材の資料として読んでいた著書『やまない雨はない 〜妻の死、うつ病、それから〜』に書かれていたような“体重が16キロも激減して生きる屍のようになり、生きている喜びも実感もない日々…”というような時期があったとは微塵も感じられない清々しい笑顔。そこには、すっかり回復してお元気になられたテレビの中の倉嶋さんがいた。

 今から7年前、最愛の奥様を亡くした倉嶋さんはすっかり落ち込んでしまい、ついにうつ病になってしまった。そこから約5ヶ月間の入院療養を経ての試行錯誤や数多くの苦しみ…、そしてそれらを乗り越えた日々について、今回はお話しいただいた。

大切な人を亡くしたショックと、自分自身の行動への後悔が重くのしかかり…
   「妻を亡くしてからというもの、“もっとこうしてあげればよかったのでは…”と後悔の種は尽きず、常に自分を責め立てていました。マンションの屋上へ10日ばかり通って何度も自殺を試みたこともありました。」倉嶋さんは今もそのマンションの7階を事務所に、9階をご自宅にして暮らしている。取材が始まる前、7階のベランダ越しに倉嶋さんが、緑の多い景観を「とても見晴らしのいいところでしょ」と微笑みながら説明してくれた。ここで奥様と暮らし、奥様を亡くし、うつ病と戦い、そしてついに乗り越えて、私たちに話してくれているのかと思うと、一言一言がとても貴重なものに感じられた。

倉嶋 厚さん写真  「私は気象庁で約35年、NHKで12年間仕事をしてきました。その間、妻が非常に支えになってくれていたんです。私たちの世代は、男は外で働き女は家を守るという時代で、私は”男の美学”と称しては、それにうまく甘えていたというか…。それに私はよく病気をしました。結婚してまず肺結核になり、それで2年間くらい別居をし、次に胃潰瘍、そして68歳のときには喉頭癌になってしまいました。声帯をとると声が出なくなると思うだけで、もう落ち込みましてね。腫瘍を取ってみたらやはり癌性。その後も放射線をかけて声が出なくなり、筆談のもどかしさでまたイライラしていました。それらの、どんな状態のときも妻が支えてくれていました。

 私は、もともと何事にも心配性で、あることが心配になりだすと、もう心配で心配でしようがなくなるんです。そんなときは夜中でも妻を起こして“こうこうなんだけど大丈夫かな”などと、妻に泣きついていましたね。妻はそれを“夜泣き”と言っていました。もともと、私にはうつ的な要素があったのでしょうが、この“夜泣き”を妻につきあってもらいながら過ごしてきたから、いろんなことが乗り越えてこられたのだと思います。その上、彼女は子供が出来ないとわかってからは“私の自己実現は貴方を通してするから”と、本当にあらゆる面で私を助けてくれました。だから妻が余命1ヶ月もない病気と知ったときのショックは、私には大き過ぎました。もし妻がいなくなったら自分はどうして生きていくのだろうかと、とてもうろたえました。本当は妻のことを一番に気遣ってやらなければならないのに、その余裕もないほどで、その翌日には自分も同じ病院の精神科クリニックで受診していたくらいでした。」

 家のことはすべて奥様にまかせていたので、電話代の支払いすらどうなっているのかもわからない状態の中、奥様が入院中も予定の入っている仕事はできるだけこなしたという倉嶋さん。「だから妻が他界したときは、もうガターッとすごいストレスがかかってきました。大切な人を亡くしたショックと、妻が闘病時の自分自身の行動への後悔が次から次へと重くのしかかってきて…。そして、うつ病になったんです。私のうつ病は、まず喪失感、そして日常生活が急変したことでした。とにかく全部妻にやってもらっていましたからね。男性は精神面でも生活面でも妻への依存度が高い、だから参るんだっていいますよね。私も本当に参りました。妻のいない日常生活の不適応、そして次にやってきたのは苦悩、後悔、自責の念でした。」

 そんな時、奥様の死後に声をかけてくれたいろんな人からの助言や励ましは、時に倉嶋さんをより苦しめる結果になったとか。「とにかく何回も言われたのは“あなたよりもっと不幸な人がいるわよ。あなたは40年もご一緒したじゃありませんか。5年か10年で死んだ人もいるのだから…”というものでした。確かにそうですが、悲しみは人それぞれに感じるもの、年月などで比べられないものですからね。悲しみにくれている私には、この言葉は励ましというふうにはとれなかったのです。一番残酷だと思ったのは、悲しんでいる時に”もっとよいお医者さんに診せることはできなかったの?”とか、病状を根ほり葉ほり聞かれることでした。同情してくれているつもりなのでしょうが、一番悲しんで一番罪の意識を感じている私には、生傷に塩をすりつけてギリギリやられているような苦しみでしたね。」


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